江戸時代(徳川家綱の時代)に現在の京都府において、旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門がトコロテンを庭に捨ておいたところ厳寒期のため、これが凍結し、日中自然に融解し、乾操し白い美しい乾物となりました。
太郎左衛門は不思議に思いこれを煮てみると元のトコロテンになることを発見し、種々研究の結果 寒天の製造を確立したと伝えられています。
黄檗山万福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励された。同時に名前を尋ねられたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、
隠元は【寒天】(かんてん)
その後摂津(大阪)の住人宮田半兵衛が更に製法の改良を行い、さらに、天保年間に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天として定着しました。